RSS

これが現代アートだ!と言われても・・・

27 12月

自慢できるようなりっぱな人間じゃなし、人様のことについて批判的なことは書くまい、って決めていたのですが、あまりに悲しい話題だったので、ちょこっとだけ書きます。ソースへのリンクや個人名の表記はいたしません。

今、ツイッターなどで大勢の皆さんがつぶやかれている、ある写真家さんの件です。その方のインタビューが最近ネットで公開されて、物議を醸しているのです。2007年にその写真の展示を行った東京都写真美術館にアクションを起こした方もいるとか。

その写真家さん、有名なアーティストのCDジャケットも手がけている高名なかたなのだそうです。わたしは、写真の芸術性、のようなことはほとんど分からないし、その方の名前も今回初めて知りました。

芸術、という言葉は、あまりにも大きすぎて畏れ多いし、芸術とは何ぞや?という問いに答えられるはずもないのですけれど、絵画も、音楽も、写真も、演劇も、舞踊も、およそ芸術と言われるものは、そのどこかに、「生きとし生けるものへの賛美」があってほしい・・と思っています。そこに描かれているものや、創造する側の心境はネガティブなものであったり、単なる衝動であったとしたとしても・・。理不尽や、悲哀や、醜悪さや、欲望や・・・あらゆることをざっくり全部含めて。賛美・・というようりは「希望」と言ったほうがよいでしょうか?

で、この写真家さんがおっしゃっていることを聞くに、賛美したいのはご自身の「快」なのかなあ、と思います。もちろんそれはそれでありなのだと思います。

「2つの小惑星が遥か彼方から一点に向かって飛んできて、ベストな角度で衝突して、ぶつかった瞬間に”スパーン!!”って砕け散るような快感を得ました(笑) 」

うーん、快感を得たのはご自分なのですね。で、写真を鑑賞する側も同じ快感を得られると思われているのですね。(得る、というひともいるのでしょうね)モデル料を払って(人を雇って)300人の人の絡みを撮りました・・・だから問題はないのかな。それでも釈然としないのだけれど・・・。

そちらはともかくとして、嫌がるセックスワーカーにカメラを向けて写真を撮る、これは許されてはいけないのではないか・・と思うわけです。その行為の意味をご自身に問うことはなかったのでしょうか?セックスワーカーの女の子のパワーだの、肉のエネルギーだの、という言葉で糊塗しているのがとてもみっともないと感じます。

・・・・タイの売春宿において理性とか知性が吹っ飛んでいるのは客だけであって、働いている女性にとっては「仕事」(貧しさゆえ、であるわけですし、強制労働である場合もあるでしょうし、児童を働かせているケースさえあるのだから、「仕事」だ、と言い切ることにさえ、いけないような気がします。)なのだから、理性や知性が吹っ飛んでいるわけはなく・・・。なんだかとても、被写体の女性たちを踏みにじっているように感じて、なんとも言えず、悲しい気持ちになってしまたのでした。

映画「闇の子供たち」に幼女を買って、その姿をネットに流している男が出てきましたが、その男のしていることとどこが違うのでしょうか?

http://wp.me/p15YIC-3A

それは、撮影した作品のクオリティとはまったく無関係だと思います。
アートだから、芸術だから許される?
そんな芸術、わたしは要りません。

写真家は、撮る対象に「愛」があるはず・・、なんていうのはナイーブ過ぎるのでしょうか?
いろいろ考えさせられるトピックでした。

 
コメントする

投稿者: : 2014/12/27 投稿先 あれやこれや

 

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください