何だか最近雨に祟られてるなあ。
今夜は武庫之荘MクアトロでLaFiestaライブです。
先日、療養されていた悦子ママが亡くなられました。今日は、追悼の気持ちで歌います。
2015.8.16追記
なんか、同級生たちたくさん写真UPしていらっしゃるようなので、モザイク消しました。
問題あり!の方がいらっしゃいましたらメッセージ下さい。すぐ削除いたします。
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なんと!と言っても別に普通驚くようなことではないと思うのですが、わたし的には晴天の霹靂?
先日小学校の同窓会に出席して参りました。
何度かこちらでも綴ったことですが、当時の私は心の狭い、他人の欠点や失敗をあげつらうような、嫌~な子供でした。担任の先生はそんなわたしを、なんとか導こうと腐心されたこと、これも後になって、毎日毎日の宿題だった日記に先生が書いてくれていた返事を読み返して初めて気がついたことでした。時には大学ノート2ページびっしり、その日に私がちょっと差別的な発言をした男の子を責めて泣かせてしまったことについて、諭していただいたこともありました。先生だって今のわたしたちよりもずっと若い20代、ご自身の人生もまだまだ迷いの時期、それでも持てるだけの情熱を傾けて試行錯誤しながら、かなり個性的な学級運営に職員室では後ろ指さされたりしながら、時には問題になったり(したそうです)しながら、子供たちに向き合ってくださっていたこと、いまではよく理解できます。
自分のことについても、今では、家庭事情(それとてどこでも多少なりともあるようなことで、ウチが取り立てて「特殊」でもなかったのでしょうが、子供にとっては家庭と学校が世界の全てですからね)やら、遠くから転校したことや、将来への不安やらあれやこれやで余裕がなかったのだろうな、と客観的に考えることができますが、思春期を迎えた中学生、高校生のころは、幼少期への後悔や罪の意識に苛まれており、自称「前科者」、同窓会なんて恐ろしくて行けない、そもそも自分に会いたいなんて思う人がいるわけない…と思っておりました。
だから先日、同級生がライブに来てくれたあと、「みんな是非参加してって言ってます。」とメールくれた時は信じれない思いでした。
で、本当に怖々、恥ずかしながら、の心境で出掛けて行ったのです。
決して、自分が汚点だと思っていた出来事、他人を傷つけてしまった出来事が考え過ぎだとか、勘違いだった、というわけじゃないと思います。でも、きっと、その当時も、今も、周りの人にとても恵まれていたのだと思います。こんな自分でも受け入れてくれていたんだなあ・・と思うと、もう本当に「感謝」の気持ちしか湧いてきませんでした。
ということで、宴会最初の挨拶でもう涙があふれてしまった情けないわたくしなのでした。
でも、この笑顔見てください。めっちゃ晴れやかでしょ?

みんなが笑顔でした。当たり前のように、当時歌っていた合唱曲(先生が、前に赴任されていた静岡で合唱指導をしていたということもあり朝な夕な、なにかというと唄っていたクラスでした。あのクラスにいなかったら、多分今歌っていないと思います)を みんなで歌って、いろいろな「事件」を語っては笑いころげて。
宴会は三宮だったのですが、だれともなく「学校、行ってみようか・・・」ということになり、西宮に移動。もう暗くなっていたのですが、ラッキーなことに校庭に入れていただくことができて、みんなで「あそこに給食室があった」とか「教室はあそこだった」っとか、ドッジボール大体この辺でいつも・・・」とか。
ひと時、思い出に浸ったら、みんなそれぞれの「今」に帰っていく。もちろん何よりも大切なのは「今」そして「これから」。
でもわたしには、「今」「これから」を精いっぱい頑張るためのエネルギーを思い切り頂いた数時間でした。
わたしにとっては、長らく背負ってきた荷物を一つ降ろすことができたようで、大げさに聞こえると思いますが、次の日の朝には、世界が本当に少し違って見えました。
年齢重ねるっていいよなあ・・・・。心からそう思えた同窓会でした。
朝・・・バスで駅に着いたら、改札の周りに人だかり。騒然としていて、携帯を手にしゃべっている人が沢山・・・。あ。。。これは電車止まっているね。車両故障とのこと。
「振り替え輸送を行っています!」駅員さんが一生懸命説明しています。いつも思うんですけど、振り替え輸送・・と言っていただいても、料金的には振替になっているかもしれませんが、振り替える駅までの足がないとあまり振り替えていただいた気はしませんねえ。とはいえ駅員さんに罪はありませんし、誰のせいというわけでもないし仕方がありません。
タクシーは長蛇の列、いつもはたくさん停車しているように感じるバス停もなぜか空っぽ。仕方がないのでJRまで歩きました。(といっても芦屋は阪急、JR、阪神が徒歩圏内。阪急が一番山側にあるから下りだし。)JR経由での出勤でした。
あ・・これが初体験なのではありませんよ。この話はあくまでも「枕」。
さて、仕事を終えて帰って参りました。ホームに降り立ったとたんに「寒ーい!」なに、これ?寒すぎ。
バス停に急ぎましたが、ちょうど出たところで、次のバスまで時間がだいぶあります。季節外れの寒さに(たぶん)タクシー乗り場もまたまた長蛇の列。
バスやタクシー待っている間に帰れちゃうよ・・・と思い歩き始めました。小粒の雨が冷たい。なんだか侘しい気持ちになってきます。途中で前を通りかかったカソリック教会のマリア様の像を見て、信仰心もないのに十字をきってみるうちの。寒くて暗くてなんだか心細いんだもの。
芦屋川を下って、阪神の駅まで来ました。(自宅はもっと南)、バス停に行ってみるもやっぱりかなりの待ち時間。
タクシー乗り場を覗くと、一人タクシー待ちなのかそうでないのか、待合室には入らない微妙な位置に70代ぐらいの男性が立っています。
うちの(以下う):「タクシー待っておられるのですか?」
老紳士(以下士):「うむ」
では、とばかりに後ろに立ちました。しばらく沈黙。突然老紳士が話しかけてきます。
士:「寒いなあ」
う:「寒くなりましたね」
士:「風がきついわ」
う:「待合室に入ったら少しはましですよ」
士:「いや、もう(タクシー)来るやろ」
(タクシー一台到着)
う:「あ、来ましたよ。すぐでしたね。」
士:「あんた、どこまでや?」
う:「え?わたしですか?〇〇町です」
士:「一緒やがな。わし〇〇(ご近所の超高級マンション)やねん。一緒に乗っていき」
う:「え????? あの、いや、その、そーですかあ・・・」
まあ、なんていうかそう危険な香りもなかったですし、寒いし、いいかあ・・と。
(タクシーの中)
士:「仕事の帰りか」
う:「はい、そうです」
士:「ごくろうさんやな。わしなんかもう、昼間からほにゃらら(聞き取れず)の料亭でずっと飲んただけやもんな」
う:「え?そうなんですか?うらやましいですねえ」
士:「もう83(たしかそう言ったとおもう)やしな。時間持て余してんねん」
う:「え???そうなんですか?(こればっかり)、もっとお若く見えますよ(ちょっとリップサービス。でも本当に若々しかった)」
士:「若いときはな、ずっとマジックやっててな(マ、マジックですかあ!!うちのの細い目が2倍に。脳裏に流れる”オリーブの首飾り”(by ポール・モーリアオーケストラ)プロだったのか聞きたかったけど聞けなかった)。年いってからもずっとボランティアでマジックやってたんや。ちょっと前にさすがにしんどなって、やめさせてもろたけど。音楽もな。ハーモニカずっとやっててな。(おお!ハーモニカ!これは趣味ですか?)」
う:「そうなんですか。凄いですねえ。(もっと気のきいたこと言いたかったけど言えなかった)」
そうこうしているうちにタクシーは家の近くまできました。
う:「あ、わたしそこを右なので(士のマンションは左に曲がったところ)、角で降ります。」(う、財布をごそごそ)
士:「ああ、もうええから、ええから。そこで降り」
う:「ええ、そんな見ず知らずの方に申し訳ない」
士:「ええねん、ええねん」
う:「そうですかあ。(でた、定番表現)ありがとうございます。」
名前も聞かず名乗らずでお別れしてしまいました。
もう暗かったし、もともと人の顔を覚えるのがとても苦手なので、どこかでお会いしてもわからないかもしれません。
でも、今度ご近所で、この人かな・・という人を見かけたら、「マジックの方ですか?」って聞いてみようと思います。
タクシーもう一台待つ時間や、タクシー代得した、ということではなく(いえ、それもありがたかったのですが)なんだかちょっと胸がほかほかと温かくなる体験でした。そう酔っているようには見えませんでしたが、朝から飲んでいたという老紳士にとってもちょっといい出来事であったらいいな、って思いました。
最近では、タブレットに楽譜を保存しておいてそれを見て演奏する人も増えているらしく、専用の楽譜スタンドも販売されているようです。(華奢な折り畳みの譜面たてに置いてひっくりかえってタブレットおじゃん・・なんて泣くに泣けませんものねえ。)
98Noteの時代から・・と言っても若い人にはわかるまい。。。これが98Noteだ!
http://ja.wikipedia.org/wiki/98NOTE
これでも、持ち運べるサイズ、RAMドライブ搭載、当時は画期的だったのですよ。
仕事で初めて使ったデスクトップのパソコンなんて、8インチ(見たことある?)フロッピーから起動して、起動したら別のフロッピーでプログラム読んで、もちろん保存用は別のフロッピーなんてシロモノでした。それでも表計算とか簡単なデータベース用のアプリケーションはもう入ってきてからのスタートでしたから、それまで「コンピューター」なんて映画やスタートレックや謎の円盤UFOの中だけのもの、なんていう感覚だったわたくしでも、なんとかマニュアル見ながら使うことができました。ちょっと複雑なことさせようと思うときはBasicというプログラム言語を扱うんですが、これも上手く動いたときの達成感がとても快感であまり苦ではなかったな。結構使えるようになって、仕事では重宝されていたときもあったなあ・・・ってそんなこと別に自慢にもならないし、本当に3年も経てば、そんな技術は全く必要でなくなっちゃう世界でしたね。でも、振り返ってみるに、コンピューターに「インデックス参照して、こういう条件ならこちらの処理に移って、そうでなければ、次のデータ参照して、こうだったらこうやってプリントして」というのをまさに「言語」で伝える(そこではなんとなく、とか言わなくてもわかるでしょ?は全く通用しない)、というのは、文学少女崩れで、もうなんていうか「情動のみ」で生きている感のあった自分が、少しだけロジカルな思考ができるようになる、いい訓練だったな、と感じています。
閑話休題。98Noteは、1機目、2機めは仕事で使っていた父からおさがりをもらって、その間Mac併用(デスクトップ、ノートとかなりお金をつぎ込んだのですが、どうにも相性が悪かったなあ。あれは何だったのだろう?)の時代がちょこっとあって、Windows時代へと変遷し、その間楽譜の作成やバッキングマシーンとして使用して、楽譜はほとんど電子でデータがあるわけですが、それでもまだ、自分としては「電子楽譜を前に置いて・・・」には抵抗があります。
ライブの時にはあらかじめ曲を決めて準備する方だし(現場に行ってその日の気分で・・・なんて憧れるけど)レパートリーだからってリクエストされたらなんでもすぐ!というわけにもいかないのだから、楽譜を全部持って歩く必要なんてほとんどないのだけれど、それでもいつでももって歩けるようにしておきたい!と思ってしまうのはどういうことなのか自分でもよくわかりません。そのあたりはこちらの「おまけ」にも記したとおり。
https://luckynobee.wordpress.com/2013/11/17/%e4%bb%8a%e5%be%8c%e3%81%ae%e4%ba%88%e5%ae%9a-32/
前に㈱信誠堂という文具屋さんのオリジナルのテキストバインダーという大容量のバインダーを購入して(当時はB5しかなかった)一応レパートリーを一つにまとめていましたが、バインダー自体が重いし、片面印刷ではもう限界の厚みになってきて、防音室の重い譜面立てでもちょっと置きにくくなってきて・・・。
で、B5ではちょっと目も辛くなってきたので、この度A4に移行することに。
厚み解消のため両面印刷。軽量化のためとじ具はリングのみ。
リヒトスライドリング
http://www.amazon.co.jp/dp/B00LEAP3SY
100枚収納可能。
歌詞やコードの精度の確認を兼ねて練習しつつ、「C」まで製本完了。
厚紙買って素敵な表紙つけたいな。デザイン絶賛募集中!
いくらきれいに楽譜整理したからって、いい歌が歌えるわけじゃない。
そんなことに時間かける暇あったら練習しろ・・・という突っ込みはまったくその通りなのです。はい。これはまあ、現実逃避とか「やった気になる」類の趣味の世界。ゲームするとか、何にもならないようなバラエティ番組みているのと変わりません。
ということで、今日はもう一つ「唄との出会い」のトピックを綴りたかったのですが、やめておいて練習に励むことに致します。大事な日曜日、すぐに時間は過ぎてしまいますものね。
近所にヨガスタジオが出来たので体験レッスン行ってきました。前行っていたヨガスクールはあちこちにスタジオがあってどこでも参加できてよかったのですが、一番便利だった三宮のスタジオが引っ越して、名前は三宮店のままなのだけれど元町のちょっと不便な場所になり、満員のクラスも多いのにもかかわらず部屋も狭くなって、ちょうどそのころ勤務場所の異動などもあって、そのままになってしまって2年経過。身体がどんどん硬くなっていくのを感じて、なにか運動しなくちゃ・・・とずっと思っていたのでした。
スパ施設の中にあるので、ヨガの後大きなお風呂に入ることができる(岩盤浴もセット!)という魅力的な施設。プログラムもインストラクターさんもとっても感じがいい。前のところみたいに回数券の使用期限も短くないし、これは続けることができるかも・・・。 めざせ!しなやかな身体!
話変わって・・・。
スマホでスケジュール管理する方が多いですが、いまのところわたくしは「紙」派です。字は下手なんだけれど、書くのは好きなんですよねー。で、過去に様々な手帳を試してまいりました。
https://luckynobee.wordpress.com/2012/10/18/%e6%89%8b%e5%b8%b3%e3%81%ae%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%97/
ここ数年は、A5サイズのものを愛用しておりましたが、カバーもくたびれてきたし、年々増える荷物に(何でも持って歩こうとするのでさながらバッグレディ)、なんとか今年は手帳を小さく軽く・・ということでクオバディスの ビソプランを使ってみることに・・。
こんなのです。
http://shop.quovadis.co.jp/shopdetail/000000000619/ct133/page1/order/
これ、8.8x17cmと、新書ぐらいの大きさで、開いて横にすると2ページ見開き1か月。手帳自体の大きさの割に書くところが広い。 ただ、 これ、ペンをさすところがないんですよね。一般的な大きさじゃないから市販のカバーも使えません。もちろんお金に糸目をつけなければ、ないわけではありませんが・・・。 で、母子手帳ケースっていうんでしょうか(通帳なんか入れるのにも便利)、にセットして使っていました。ネーミングもさることながら、ファンシーなもの、メルヘンなものはあまり好きじゃない自分としてはイマイチ・・。とはいえ、ペンやフセンや、名刺やいろいろ入って便利ではあります。手帳もちょうど収まるし・・・ということで、こんな感じで使っていたのです。
でもね・・。会議の席に持っていったりすると、なんだか「保健衛生用品机に出してます」って感じなんです。(柄とか、ナイロンンの感じが・・・) それに、ペンを差しておくには中のポケットが浅すぎて(これ、印鑑を想定してるのかな)すぐぽろっと落ちちゃったり。
これはちょっとなあ・・・。
毎日使うものがこういう状態って、すっごくイライラしちゃう。 で、ちょうどいい手ごろなものないかなあ、皮で手作りしようかなあ・・やっぱり重くてもA5サイズに戻そうかなあ・・と考えあぐね・・・。
サイズちょうどよさそう・・・・。早速購入して、手帳がセットできるようにカスタマイズ。
片側に手帳の表紙を挟めるように、シャーリングテープを縫い付けて、ファスナーの開閉の邪魔にならないように角も折りたたんで縫いました。出来上がりはこんな感じ。
シャーリングテープを手縫いで・・。縫い目はぐちゃぐちゃだから拡大禁止!!サイズはぴったりでした。
今のところ、まあ快適に使っています。ペンケースなんだけどちょっと「お財布チック」なのが玉に傷です。会議の席で机に出すことを考えて地味な配色にしたので、肉球シールを張ってみました。(ファンシーなもの好きやん!)
「工夫癖」は治りませんな・・・。
前回のレッスンで、Carlosと議論したこと・・・。「何を歌うか」について・・です。
好きな歌、心情にぴったりはまる歌を歌いたい、と思うわけです。ところが、あまりに好きな歌、あまりに身につまされる歌は歌えない、というのが歌い手なら誰しも経験するところではないでしょうか。
昨日の紅白歌合戦での中森明菜さんの唄は見逃したのですが、(あ、ワンセグでも観られるじゃん!」と思ったときには時すでに遅し、歌った後のインタビューでした。)彼女が「難破船」歌っていたとき、いい曲で、歌唱も最高なのに、思い入れが強すぎて歌が見えにくいよ・・って思っていました。そう、歌う本人が泣いちゃったらダメなんですよね。(いえ、泣いちゃう…も含めてパフォーマンスとして受け入れる、というのも十分に美しいとは思うのですけれど・・やっぱり歌が伝わらないとなあ。巫女たる歌い手(歌い手って、巫女、もしくはイタコなのだとわたしとしては信じており・・・)アカンのではないか・・と思うわけです。あ、でもあの時の中森明菜さん、この上なく美しかったなあ。「desire」なんか歌っていた時よりずっと好きだった…というたありかなり矛盾していますね。
絶対歌ったとたん泣いてしまう歌・・・というのが何曲かあります。そうですね・・何曲かあげるとしたら、中島みゆきさんの「ホームにて」(これについて以前にもブログで綴りました。http://wp.me/p15YIC-4B)とか、さだまさしさんの「距離(ディスタンス)」とか「道化師のソネット」とか、谷山浩子さんの「窓」とか、オフ・コースの「秋の気配」とか・・・。あら、フォークというかニューミュージックとか言われていたジャンルばかり。
ただ、そのことを以てその歌が楽曲として優れていると思っているわけではなく(思っているけれど、他の曲と比べてことさら・・と思っているわけではなく)、やっぱり個人的な体験と重なっているから・・なのですよね。
そういう歌を歌ったからといって、必ずしも他の方に伝わるか・・というとまた少し違うような気もします。そもそも泣いちゃったら絶対ちゃんと歌えませんからね。
でも、それぐらいその歌を愛してなければ伝わらない「何か」もあるのだろうし・・・。
本当に難しいところです。
自慢できるようなりっぱな人間じゃなし、人様のことについて批判的なことは書くまい、って決めていたのですが、あまりに悲しい話題だったので、ちょこっとだけ書きます。ソースへのリンクや個人名の表記はいたしません。
今、ツイッターなどで大勢の皆さんがつぶやかれている、ある写真家さんの件です。その方のインタビューが最近ネットで公開されて、物議を醸しているのです。2007年にその写真の展示を行った東京都写真美術館にアクションを起こした方もいるとか。
その写真家さん、有名なアーティストのCDジャケットも手がけている高名なかたなのだそうです。わたしは、写真の芸術性、のようなことはほとんど分からないし、その方の名前も今回初めて知りました。
芸術、という言葉は、あまりにも大きすぎて畏れ多いし、芸術とは何ぞや?という問いに答えられるはずもないのですけれど、絵画も、音楽も、写真も、演劇も、舞踊も、およそ芸術と言われるものは、そのどこかに、「生きとし生けるものへの賛美」があってほしい・・と思っています。そこに描かれているものや、創造する側の心境はネガティブなものであったり、単なる衝動であったとしたとしても・・。理不尽や、悲哀や、醜悪さや、欲望や・・・あらゆることをざっくり全部含めて。賛美・・というようりは「希望」と言ったほうがよいでしょうか?
で、この写真家さんがおっしゃっていることを聞くに、賛美したいのはご自身の「快」なのかなあ、と思います。もちろんそれはそれでありなのだと思います。
「2つの小惑星が遥か彼方から一点に向かって飛んできて、ベストな角度で衝突して、ぶつかった瞬間に”スパーン!!”って砕け散るような快感を得ました(笑) 」
うーん、快感を得たのはご自分なのですね。で、写真を鑑賞する側も同じ快感を得られると思われているのですね。(得る、というひともいるのでしょうね)モデル料を払って(人を雇って)300人の人の絡みを撮りました・・・だから問題はないのかな。それでも釈然としないのだけれど・・・。
そちらはともかくとして、嫌がるセックスワーカーにカメラを向けて写真を撮る、これは許されてはいけないのではないか・・と思うわけです。その行為の意味をご自身に問うことはなかったのでしょうか?セックスワーカーの女の子のパワーだの、肉のエネルギーだの、という言葉で糊塗しているのがとてもみっともないと感じます。
・・・・タイの売春宿において理性とか知性が吹っ飛んでいるのは客だけであって、働いている女性にとっては「仕事」(貧しさゆえ、であるわけですし、強制労働である場合もあるでしょうし、児童を働かせているケースさえあるのだから、「仕事」だ、と言い切ることにさえ、いけないような気がします。)なのだから、理性や知性が吹っ飛んでいるわけはなく・・・。なんだかとても、被写体の女性たちを踏みにじっているように感じて、なんとも言えず、悲しい気持ちになってしまたのでした。
映画「闇の子供たち」に幼女を買って、その姿をネットに流している男が出てきましたが、その男のしていることとどこが違うのでしょうか?
それは、撮影した作品のクオリティとはまったく無関係だと思います。
アートだから、芸術だから許される?
そんな芸術、わたしは要りません。
写真家は、撮る対象に「愛」があるはず・・、なんていうのはナイーブ過ぎるのでしょうか?
いろいろ考えさせられるトピックでした。
年末恒例のK’zのクリスマスパーティ、今年はMクアトロをお借りしての開催、今年は本当にMクアトロさんにはお世話になりっぱなしです。薫マスター、ありがとうー!
ここ数年、身内にご不幸があったとか、体調崩して・・・とかで誰かが欠席で寂しい・・ということが多かったのですが、今年は、本当にたくさんの懐かしいメンバーが顔をそろえて、忙しくて(それは結構な話ではあるわけですが)なかなか参加できないシンガー仲間や、療養中の唄仲間も参加、もう、顔を見ただけでうるうるなっちゃうぐらいでした。
だいぶメンバーが少なくなって、いまやクアイアというよりはコーラスグループ(一緒か?)となったAngel Voicesの皆さんも、発表会以来だったし。
今年は、お題が、「飲み物に関係する曲+クリスマスソング」ということで、わたくしは「おいしい水」と「Tell it on the mountain」を唄わせていただきました。John P Keeの「Tell it on the mountain」は、Touch Of LUVの時代にABCラジオに出演して歌った思い出の曲。ソロで唄ってもなかなか雰囲気は出ないのですが、むりやり歌ってしまいました。Angel Voicesさん、歌ってくれないかなあ…。
それから、唄仲間の旦那さま(C&Wで活動していらっしゃいます)の「Cotton Fiels」のコーラスもさせていただきました。ちゃんとパートの確認もせず付け焼刃だったため、ところどころユニゾンになってしまって申し訳ありませんでした。でもとっても気持ちよかったです。
「飲み物」がお題ということは・・・・いえ、お題が何であれK’zの宴会ではいつものことですが・・・。
“Cocktails for Two” 歌います・・・っていったらカクテルが配られ・・
”ウィスキーがお好きでしょ”歌います・・・って言っちゃあ水割りが配られ・・
極めつけは
”マンボ・テキーラ!!!! “ テキーラも出てきました。
最近特にお酒にはめっきり弱くなったうちの、どれも「舐めるだけ」で勘弁していただきました。
”マンボ・テキーラ” では、何度かお客さんとして参加してくれていた、Carlos一家の一人息子、われらがSAPOさん(K’zではすっかり「ハマチャン」で定着しそうですが・・・)が、大きな(?)娘たちを率いて「WHA(バンド名)」の一員としてステージデビュー、しっかりラテンのリズムをキープしてくださいました。うちのも是非、次回は「WHAT」の仲間にいれてもらおうと思います。
楽しいひと時でした。
一年、みんな頑張ったよね。
来年も元気にみんなで唄えますように。