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時を超えて

15 8月

2015.8.16追記
なんか、同級生たちたくさん写真UPしていらっしゃるようなので、モザイク消しました。
問題あり!の方がいらっしゃいましたらメッセージ下さい。すぐ削除いたします。

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なんと!と言っても別に普通驚くようなことではないと思うのですが、わたし的には晴天の霹靂?

先日小学校の同窓会に出席して参りました。

何度かこちらでも綴ったことですが、当時の私は心の狭い、他人の欠点や失敗をあげつらうような、嫌~な子供でした。担任の先生はそんなわたしを、なんとか導こうと腐心されたこと、これも後になって、毎日毎日の宿題だった日記に先生が書いてくれていた返事を読み返して初めて気がついたことでした。時には大学ノート2ページびっしり、その日に私がちょっと差別的な発言をした男の子を責めて泣かせてしまったことについて、諭していただいたこともありました。先生だって今のわたしたちよりもずっと若い20代、ご自身の人生もまだまだ迷いの時期、それでも持てるだけの情熱を傾けて試行錯誤しながら、かなり個性的な学級運営に職員室では後ろ指さされたりしながら、時には問題になったり(したそうです)しながら、子供たちに向き合ってくださっていたこと、いまではよく理解できます。

自分のことについても、今では、家庭事情(それとてどこでも多少なりともあるようなことで、ウチが取り立てて「特殊」でもなかったのでしょうが、子供にとっては家庭と学校が世界の全てですからね)やら、遠くから転校したことや、将来への不安やらあれやこれやで余裕がなかったのだろうな、と客観的に考えることができますが、思春期を迎えた中学生、高校生のころは、幼少期への後悔や罪の意識に苛まれており、自称「前科者」、同窓会なんて恐ろしくて行けない、そもそも自分に会いたいなんて思う人がいるわけない…と思っておりました。

だから先日、同級生がライブに来てくれたあと、「みんな是非参加してって言ってます。」とメールくれた時は信じれない思いでした。

で、本当に怖々、恥ずかしながら、の心境で出掛けて行ったのです。

決して、自分が汚点だと思っていた出来事、他人を傷つけてしまった出来事が考え過ぎだとか、勘違いだった、というわけじゃないと思います。でも、きっと、その当時も、今も、周りの人にとても恵まれていたのだと思います。こんな自分でも受け入れてくれていたんだなあ・・と思うと、もう本当に「感謝」の気持ちしか湧いてきませんでした。

ということで、宴会最初の挨拶でもう涙があふれてしまった情けないわたくしなのでした。
でも、この笑顔見てください。めっちゃ晴れやかでしょ?

みんなが笑顔でした。当たり前のように、当時歌っていた合唱曲(先生が、前に赴任されていた静岡で合唱指導をしていたということもあり朝な夕な、なにかというと唄っていたクラスでした。あのクラスにいなかったら、多分今歌っていないと思います)を みんなで歌って、いろいろな「事件」を語っては笑いころげて。

宴会は三宮だったのですが、だれともなく「学校、行ってみようか・・・」ということになり、西宮に移動。もう暗くなっていたのですが、ラッキーなことに校庭に入れていただくことができて、みんなで「あそこに給食室があった」とか「教室はあそこだった」っとか、ドッジボール大体この辺でいつも・・・」とか。

ひと時、思い出に浸ったら、みんなそれぞれの「今」に帰っていく。もちろん何よりも大切なのは「今」そして「これから」。
でもわたしには、「今」「これから」を精いっぱい頑張るためのエネルギーを思い切り頂いた数時間でした。

わたしにとっては、長らく背負ってきた荷物を一つ降ろすことができたようで、大げさに聞こえると思いますが、次の日の朝には、世界が本当に少し違って見えました。

年齢重ねるっていいよなあ・・・・。心からそう思えた同窓会でした。

 
 

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