前回のレッスンで、Carlosと議論したこと・・・。「何を歌うか」について・・です。
好きな歌、心情にぴったりはまる歌を歌いたい、と思うわけです。ところが、あまりに好きな歌、あまりに身につまされる歌は歌えない、というのが歌い手なら誰しも経験するところではないでしょうか。
昨日の紅白歌合戦での中森明菜さんの唄は見逃したのですが、(あ、ワンセグでも観られるじゃん!」と思ったときには時すでに遅し、歌った後のインタビューでした。)彼女が「難破船」歌っていたとき、いい曲で、歌唱も最高なのに、思い入れが強すぎて歌が見えにくいよ・・って思っていました。そう、歌う本人が泣いちゃったらダメなんですよね。(いえ、泣いちゃう…も含めてパフォーマンスとして受け入れる、というのも十分に美しいとは思うのですけれど・・やっぱり歌が伝わらないとなあ。巫女たる歌い手(歌い手って、巫女、もしくはイタコなのだとわたしとしては信じており・・・)アカンのではないか・・と思うわけです。あ、でもあの時の中森明菜さん、この上なく美しかったなあ。「desire」なんか歌っていた時よりずっと好きだった…というたありかなり矛盾していますね。
絶対歌ったとたん泣いてしまう歌・・・というのが何曲かあります。そうですね・・何曲かあげるとしたら、中島みゆきさんの「ホームにて」(これについて以前にもブログで綴りました。http://wp.me/p15YIC-4B)とか、さだまさしさんの「距離(ディスタンス)」とか「道化師のソネット」とか、谷山浩子さんの「窓」とか、オフ・コースの「秋の気配」とか・・・。あら、フォークというかニューミュージックとか言われていたジャンルばかり。
ただ、そのことを以てその歌が楽曲として優れていると思っているわけではなく(思っているけれど、他の曲と比べてことさら・・と思っているわけではなく)、やっぱり個人的な体験と重なっているから・・なのですよね。
そういう歌を歌ったからといって、必ずしも他の方に伝わるか・・というとまた少し違うような気もします。そもそも泣いちゃったら絶対ちゃんと歌えませんからね。
でも、それぐらいその歌を愛してなければ伝わらない「何か」もあるのだろうし・・・。
本当に難しいところです。