ついさっきまで、かの地ブラジルに思いを馳せて、サンバのお稽古をしていたのですが・・・。
そういう時に限って、今風にいえば「真逆」の(こんな日本語、もともとあったのでしょうかね?あんまり口にしたい音ではありませんな。)音楽が思い浮かんでしまうわたくし。
根っからの「天邪鬼」なのかもしれません。今日この胸に去来した唄は・・・(ええい、いちいち大げさな!)
”中島みゆき”さんといえば、いまでもヒットを飛ばし続けているビッグ・アーティストなのですが・・・。今でも、いまいち理解できずにいる部分が多々あるのです。
「わかれうた」(別れ、だったか分かれ、だったか、はたまたひらがなだったか・・・?さだかではない。)という唄が、えらく流行ったとき、「変な唄だなあ・・・」と思っただけ、当時はまだ小学生だったし、歌詞の意味もさっぱりわからなかったし。
たまたま(出会い、というのはたいてい”たまたま”ですね)、ラジオで、その”わかれみち”のB面(ああ。・・・・CD世代にはわかるまい。B面という言葉の実際も、そのニュアンスも)の曲、といって、流れたのが「ホームにて」という曲。(そういいつつ・・・本当は記憶は定かではない。他の曲のB面だった可能性も・・)
「えー、こっちのほうが100倍いいじゃん?」と思った・・・ことは覚えているのですが、なにせ1回こっきり、ラジオで聞いただけだったわけです。そんなに気に入ったのなら、シングルレコードを買えばよかったのですが、そのころ1ヶ月のおこずかいは500円なり。シングルレコードは600円。「レコードを所有する」ということさえ想定できなかった幼い少女だったのでした。(え?想像できないって?ほっといておくれ!)
そのまま記憶の彼方・・・だったのです。
何年か経過して、中学2年生の時、夏休みの宿題で、
「詩でも、新聞記事でも・・・自作他作を問わないので、文字のレタリングと、水彩画をひとつの作品にする」
というのが出ました。当時自称「文学少女」だったわたしは(笑うなってばさあ、わたしも当時は少女だったんだからあ!)、張り切って自作の詩と、絵を仕上げたのでした。その詩は、都会のネオンや、流行のファッションに浮かれた自分は、もうふるさとへ帰る列車に乗れない・・・というもので、あとで考えたら、「ホームにて」を言い換えただけ・・・というシロモノだったのですが、当時のわたしは、下敷きになった唄などすっかり忘れて、100%自分の創作!と信じておりました。
絵のほうは、絵心がなくて、本当に図工が苦手だった私にしては頑張ったもので、(やっぱりモチベーションって、何より大切ですね)美術は”3”(5段階評価)だったわたしのその作品が、なんと文化祭で「貼り出し」になったのでした。美術に関してのいい思い出はそれだけだなあ・・。
有頂天になったのもつかの間、それから程なく、原曲(”ホームにて”がベースになったこと)に思い当たって(また、聴く機会があったので)、「盗作と言われるのではないか?」、とびくびくしたりしたわけですが・・・。数多く張り出してある絵の中の詩(しかも自作ともなんとも断りのない)なんて、だれも気にしちゃあいないのに、繊細だった当時のわたくし、、真面目というか、自意識過剰というか・・・。 ほんと、”うれしはずかし”の甘酸っぱい思い出ですが、「ホームにて」は今でもいっとう好きな(出たあ! 乱発&一貫性なしのいっとう)唄のひとつなのでありました。
今でも、涙なしには唄えない唄です。