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魯迅と父

04 9月

19年前に亡くなった父は「超絶」と言っていいほど無口な人でした。お酒が入って機嫌がいい(あるいは機嫌が悪い)時以外は「ああ」「うー」といった発声しかしない、という感じで、もちろん仕事に行けばそうもいかなかったでしょうし、祖父の葬儀の時に父が代表で長い挨拶をしたときは「えーーーお父さん、普通にしゃべれるんやん!」と驚くほど。

そして父はまた「超絶」と言っていいほどの合理主義でした。意味のないことはしない、どんなときにも最適最短の道を選ぶ人でした。

サラリーマン(営業もやっていた、というのが信じがたいのですが)を経て会計士になった父のことは「実務一辺倒」の人だと思っていたのですが、若い時は絵を描いたり、実は哲学を勉強したかったのだ、ということはずっと後に知りました。

満州から両親と兄弟6人なんとか引き上げてきて赤貧洗うが如しの少年時代、芸術、哲学、といった道を選択するのは今よりずっと難しかったことでしょう。

そんな父が「魯迅」を愛読していた、ということは母経由で知りました。中学生ぐらいだったでしょうか?文学少女を気取って(気取っていたつもりはないのだけれど)図書室に入り浸り、読書感想文コンクールではよく賞をいただいていた私は、「それは読まねば」と取りついたわけです。でもね、全くわからなかったのです。魯迅は(といっても原文ではないけど)表現は直截だし難しい単語を多用するわけでもない。文章はすらすら読めるのでそういう意味で「難しい」わけではないのです。でも、今考えるにやはり読書(歌との出会いもそうかなあ)には出会うべき季節があるのだ、と思います。書いてある字面ではなく、もっと深く作品と触れ合うには読み手のある程度の成熟が必要なのではないかと。そんなことにも思い当たらない少女Uは、父の愛読していた作品が胸に響かなかったことが悲しくて、ショックで、それきり魯迅を手に取ることはありませんでした。

時は流れ流れ・・・仕事の関係で中国は紹興市と少し関わりができました。紹興市といえば魯迅の故郷として世界中に知られた地、「魯迅先生」と言う言葉もよく耳に入るようになりました。

ふと思いついてもう一度手に取った魯迅、一体何が「わからなかった」のか、「響かなかった」のかが不思議なぐらいスイスイと心身に沁みていくようでした。言葉で説明は難しいですが、父が何故魯迅を愛したかもよくわかります。
ここで魯迅の文学を語るような言葉は持ち合わせていませんが、自序に始まって「阿Q正伝」「狂人日記」「故郷(これは高校の教科書に載っていました)」「薬」「明日」などが収録されている文庫を一冊一気に読み終えて、少し父に近づいたような気がしてなにか誇らしいような、胸の奥が温かいような、そんな気持ちになりました。

今日は歌とは全く関係ないお話でした。

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投稿者: : 2025/09/04 投稿先 あれやこれや

 

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