RSS

月別アーカイブ: 9月 2025

幸せいっぱいの誕生日でした。

27日、西宮北口はサンバブラジルでのライブ、28日、JK高槻でのLa Fiestaライブに来てくださった皆様、ありがとうございました。やっと涼しくなってきましたが、あまりにも夏が長く、暑かったので身体がついていかないですね。

9月に入ってからも「経験のない業務」の連続で頭の中がぐちゃぐちゃになっていました。そうなってくるともう、短期の目標設定のレベルがどんどん落ちてきて、「体力を温存する」「車の運転に細心の注意を払う」「なにか約束を忘れたりしないよう常にTODO管理をする」ぐらいにしか気が回らなくなってしまいます。

そんな中で迎えた27日ライブ当日、朝からちょっと身体のだるさがありましたが、お店に無事に到着してセッティング、リハ、と進むうちにぐんぐん元気になるうちの。ゲンキンなやつ・・・と自分でも呆れてしまいます。

ラテンの好きのお客様、ブラジル音楽好きのお客様、11月に地域の市民館でのコンサートのお世話くださる方、などなどお客様の温かい拍手とまなざしにも励まされ、元気いっぱい歌うことができました。Nikkieさんのギター、とみやんのパーカッション、そしてぺーちゃんの美しいフルートの響きも、至福でございました。

そしてそして・・・当日は私の誕生日でした。本当にたくさんの皆様からお祝いのメッセージを頂きました。ライブ中にも祝っていただきました。

ライブ終了後は、なんとシェフがケーキを用意してくださったのでした。(いつの間に・・・?奥さんのRyokoさんにお聞きしたところ「ライブ中に”誕生日だ”とわかって、”ちょっと行ってくる!!”と飛び出していった」と。そして、シェフレジナウド、Ryokoさん、お店のhelpでいつもお世話になっているWwkoさん、共演者で

https://youtu.be/V43qtAxQcxQ?si=qlix881_XGjATnl-

これをお店のスクリーンに映し何度も大合唱してお祝いしてくれました。
幸せすぎてバチが当たりそうな誕生日ライブでございました。

皆様、本当にありがとうございました。
幸せをかみしめ、感謝して今後も精進したいと思います。

今回のお品書き
 
コメントする

投稿者: : 2025/09/29 投稿先 ライブ報告

 

’Tis Autumn 稔りの秋

東京在住のシンガーこやまゆっこさんにお誘いいただき、素晴らしいライブにゲスト参加させていただきました。

こやまゆっこさんとはショーロのオンライン講座で2期ほどご一緒させ頂いたクラスメイトです。画面の向こうで歌うゆっこさんの歌が(特にリズムが)素晴らしくていつか生演奏で聴かせていただきたい、とずっと思っていた夢がかないました。
日本サンバ界のお父さん、と呼ばれている吉田豊さん(Per)とも初めてお会いしました。
会場のカイピリーニャも、関西在住ブラジル音楽好きにとってはまさに「聖地」、いつか伺いたい、と思いながら今回初めてのお邪魔です。
そしてそして、ギターの大岸康雄さんは、一昨年のレ・ミューズカフェでの「Festa do Brasil」でエスペランサさんの爆笑ライブに魅せられて以来、いつかご一緒できたらなあ、と憧れていたギタリストでした。

ゆっこさん、吉田さんの歌による第1部ですでに会場はおお盛り上がりに盛り上がりました。
うちのは2部で「Falssa Baiana」と「Não deixe o samba morrer」を歌わせていただいたのですが、緊張したのか、1部で興奮しすぎたのか、酔いが回ったのか、息が上がってしまい、歌詞は飛ぶしさんざんでございましたが、皆さんが一緒に歌って助けてくださり、ママも、会場もノリノリで踊ってくださり、本当に幸せでございました。(こういう時は「皆が歌える歌」を選ぶに限りますねー)マスターのカイビさんも(オーダー多くて大変だったと思います)スルドでご一緒してくださり・・・・。

なんだか沢山の夢がいっぺんに叶ってしまった夢のような一夜でありました。

ゲストも含めたこんな素敵なプログラムも作ってくださって感激です。
ゆっこさん、お店にいらしたすべての皆さん、本当にありがとうございました。

 
コメントする

投稿者: : 2025/09/15 投稿先 ライブ報告

 

魯迅と父

19年前に亡くなった父は「超絶」と言っていいほど無口な人でした。お酒が入って機嫌がいい(あるいは機嫌が悪い)時以外は「ああ」「うー」といった発声しかしない、という感じで、もちろん仕事に行けばそうもいかなかったでしょうし、祖父の葬儀の時に父が代表で長い挨拶をしたときは「えーーーお父さん、普通にしゃべれるんやん!」と驚くほど。

そして父はまた「超絶」と言っていいほどの合理主義でした。意味のないことはしない、どんなときにも最適最短の道を選ぶ人でした。

サラリーマン(営業もやっていた、というのが信じがたいのですが)を経て会計士になった父のことは「実務一辺倒」の人だと思っていたのですが、若い時は絵を描いたり、実は哲学を勉強したかったのだ、ということはずっと後に知りました。

満州から両親と兄弟6人なんとか引き上げてきて赤貧洗うが如しの少年時代、芸術、哲学、といった道を選択するのは今よりずっと難しかったことでしょう。

そんな父が「魯迅」を愛読していた、ということは母経由で知りました。中学生ぐらいだったでしょうか?文学少女を気取って(気取っていたつもりはないのだけれど)図書室に入り浸り、読書感想文コンクールではよく賞をいただいていた私は、「それは読まねば」と取りついたわけです。でもね、全くわからなかったのです。魯迅は(といっても原文ではないけど)表現は直截だし難しい単語を多用するわけでもない。文章はすらすら読めるのでそういう意味で「難しい」わけではないのです。でも、今考えるにやはり読書(歌との出会いもそうかなあ)には出会うべき季節があるのだ、と思います。書いてある字面ではなく、もっと深く作品と触れ合うには読み手のある程度の成熟が必要なのではないかと。そんなことにも思い当たらない少女Uは、父の愛読していた作品が胸に響かなかったことが悲しくて、ショックで、それきり魯迅を手に取ることはありませんでした。

時は流れ流れ・・・仕事の関係で中国は紹興市と少し関わりができました。紹興市といえば魯迅の故郷として世界中に知られた地、「魯迅先生」と言う言葉もよく耳に入るようになりました。

ふと思いついてもう一度手に取った魯迅、一体何が「わからなかった」のか、「響かなかった」のかが不思議なぐらいスイスイと心身に沁みていくようでした。言葉で説明は難しいですが、父が何故魯迅を愛したかもよくわかります。
ここで魯迅の文学を語るような言葉は持ち合わせていませんが、自序に始まって「阿Q正伝」「狂人日記」「故郷(これは高校の教科書に載っていました)」「薬」「明日」などが収録されている文庫を一冊一気に読み終えて、少し父に近づいたような気がしてなにか誇らしいような、胸の奥が温かいような、そんな気持ちになりました。

今日は歌とは全く関係ないお話でした。

normal_71a47f13-df6b-4f0e-893d-519b80fe4c94

 
コメントする

投稿者: : 2025/09/04 投稿先 あれやこれや