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タグ別アーカイブ: 高柳組

大笑いのススメ 忘年同窓会

恒例になりつつある、小学校5-6年生高柳学級の関西忘年同窓会に参加してきました。今回は北新地の水炊きのお店「博多 華味鳥」。営業のお仕事を長くしてきたグルメ通の同級生が、いつも素敵なお店を探してくれるので、ほんとうに楽しみ。本場の水炊きの鶏スープの美味しさと言ったら・・・。あっさりしていて油っこいものが苦手なうちのにはとてもうれしいお店でした。明太子も美味しかったあ・・・。

さて、今回は関西在住の同窓生8名が集まりました。思い出話+それに対する現在のコメントが可笑しくて可笑しくて、笑いすぎでお腹が痛くなりました。ビールも吹きそうになるし、こんなに笑ったのは久しぶりではないかというぐらい笑い転げていました。

みんな記憶がちょっとづつ違っていたり、記憶している部分が違っていたり、みんなの話が、モザイクのように繋がって。厳しい突っ込みや、ネガティブ発言や、それもこれも全部ひっくるめて笑いに昇華できるって、すごいことだなあ・・・・。と思います。

それぞれ年齢を重ねてさまざまな経験をしてきたということもあります。でも翻って日々の仕事や人間関係で「クレーマーさん」とか大昔の「恨みつらみ」を大人になってからも引き摺っている人とか、現在自分の人生がうまく行かないことを過去のせいにしている人や、たくさん見かけるわけです。そういう不幸なことにならずに、今みんなで大笑いできるのも、当時の先生のお陰なんだろうなあ・・・としみじみ思うのでした。

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(記念撮影!例によって笑いすぎで目がありません。)

たまたまなのですが、今回女子4名は、「集団下校」(これ、やってない地域や学校もあったようですが、当時私の通っていた小学校では必須でした。家が近い子が一緒に登下校するのです。登校は学年やクラスを超えて近所の子がみんなで揃って登校、下校はクラスで方向が同じ子が班を組んで下校することになっていました。)の班4名が全員集合していました。当時7歳離れた妹の通う保育所が下校途中にあったので、皆さんには妹の「お迎え」にも付きあってもらっていました。ちょうどおやつの時間なんかだと、3人(一人は保育所の前のマンションに住んでいたので帰宅済み)で保育所の小さなブランコやジャングルジムに持たれておしゃべりしていたり。

あれから長い歳月が流れました。その時間を経て、またこうして一緒に笑い転げる日が来るとは、もちろん当時は想像も及ばなかったことです。

本当に幸せなことです。

さあ、笑い声や、笑いすぎで流れる涙で、今年の恨みつらみ(いや、そんなものそもそもありませんが、ちょっとした澱のようなもの)はみんな流れていきました。

すっきりとした気持ちで新年が迎えられそうです。

同級生の皆さん、ありがとうございました。

 
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投稿者: : 2017/12/30 投稿先 あれやこれや

 

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思い出は宝物

先日、小学校5年生、6年生のときの同窓会がありました。先生をお迎えしての同窓会は2年ぶりです。

https://luckynobee.com/2015/08/15/%E6%99%82%E3%82%92%E8%B6%85%E3%81%88%E3%81%A6/

恐る恐る参加した前回の同窓会でしたが、わたしにとっては長年の胸のつかえがとれた忘れられない思い出となっています。
音楽好きの先生のおかげで、何かにつけて合唱をするクラスでした。前回、歌集を手作りしてきてくれた同級生がいて、2次会はカラオケボックスにて、みんなから先生に、当日いつもポケットに入れて持ち歩いておられた音叉をプレゼント。(頭にコンと当てて、少し首をかしげるように耳に持って行って「ん~」と声をだす、その先生の姿はきっとクラスメイト全員が覚えているはずです)、小学校の校歌や、当時歌った「山口くんちのツトムくん」などを歌ったのでした。そのとき、「次回は思い出の合唱曲のカラオケを作ってこよう!」と決心していました。

昨年あたりからぼちぼち、同窓会開催の話がでていましたので少しづつ作業を進め、
https://luckynobee.com/2017/07/05/%E4%B9%85%E3%80%85%E3%81%AE%E6%89%93%E3%81%A1%E8%BE%BC%E3%81%BF%E4%BD%9C%E6%A5%AD%E3%81%A8/

簡単な楽譜集と、カラオケCD、ラジカセなどを持参いたしました。

1次会は元町駅東を少し上がったところにあるハナワグリル、同窓会出席者は先生を含めて14名。半数、とはいきませんが、なかなかの人数ではないかしら。この2年の間に新たに連絡がついて参加した人も3名いました。

2次会には、全員でカラオケボックスに移動、先生がみんなで合唱した曲を他の団体が歌ったもの(当時わたしたちが合唱した音源はなかったようで、)を、全員ひとりひとりCDにしてきて配って下さいました。今回の合唱カラオケの話は先生にはしていなかったにもかかわらず、カラオケを作った曲がすべて入っていて・・・。先生も同じ思いを持ってくれていたのかなあと思うと感激でした。お陰さまで模範演奏を聴いてから合唱、という流れになりました。

「合唱ばかりしていたことはもちろん覚えているけれど歌った曲、覚えていないわ・・」と言っていた当時の野球少年たちが、伴奏かかったらちゃんと歌えて、途中で入る手拍子も無意識に揃って、歌いながらみんなが目を丸くしている・・・。なんだか鳥肌が立つような素敵なシーンでした。

自分が、合唱大好きだったから、ひとりで張り切ってしまい、本当は歌なんて歌いたくない人もいるのではないか、ととても心配していたので、ほっとしました。

当時さながらの先生の歌唱指導も入り、それもまた懐かしく、4曲を数回ずつ歌っては「あの時こうだった、あの曲はどうだった」と話にも花が咲きました。

ただ、ひとつだけ悲しいことがありました。クラスメイトの内の一人が、30代で病気で亡くなっていたことが、同窓会の数日前にわかったのです。2年前にも「連絡がつくといいね」と噂していただけに、みなショックを受けました。
一夜明けた翌日は、クラスから3名が代表で、ご実家にご焼香に行ってくれました。背の順で並んだらいつも先頭だったMくんが、170㎝を超える長身になって、研究職として頑張っていたこと、日本酒が好きでぐい飲みを集めたり、カメラが趣味で、登山したり、ご両親ともあちこち旅行に行ったこと、お亡くなりになる前に「短かったけれど普通の人より2倍、3倍濃密な人生だった」と語っていたことなどをお聞きしました。思い出を語りながら日本酒を一緒に飲みたかった・・・という思いは残りますが、心からご冥福を祈りたいと思います。

また次回、みんなが元気で、そして仲間が増えていますように、と願っています。

乾杯!!
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花束贈呈
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歌ってます。みんなと歌えて本当に嬉しかった。
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解散前に女子(?)だけで
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作っていった歌集。おっと歳がばれるからちょっと加工・・。

髙柳先生、クラスメイトの皆さん、本当にありがとうございました。

 
 

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久々の打ち込み作業

いにしえのPC98の時代から楽譜作成とバッキングを作るために音楽ソフトを使ってまいりました。

https://luckynobee.wordpress.com/2005/11/10/%e9%9f%b3%e6%a5%bd%e3%82%bd%e3%83%95%e3%83%88%e3%81%ae%e3%81%8a%e8%a9%b1/

最近は、細々(蜘蛛の糸の細さ・・)と続けているピアノのお稽古の甲斐あってか、外に持ち出しての練習にはバッキングソフトは使わずに「ピアノ絵本」でコードを押さえながら・・ということが多くなりました。

https://luckynobee.wordpress.com/2016/12/17/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%81%9F%E3%81%A1%E2%91%A1/

8月に小学校の5.6年生のクラスの同窓会が予定されておりまして、宴会以外に、皆で合唱をしようと計画しております。なにせ、恩師が常に音叉を持ち歩いている、音楽好き(その後音楽専科の先生になられました)でして、朝な夕な、何かにつけてクラスで合唱していたのです。中井貴一さん主演の映画「ビルマの竪琴」で合唱ばかりしている部隊を観た時は「あ、ウチのクラスとおんなじ!」と思ったものです。

で、最近せっせと思い出の合唱曲の伴奏の打ち込みを作っております。カラオケみたいに薄くメロディーも聴こえるようにして。以前ならレコンポーザーというシーケンスソフトを使って、ノートも、ベロシティもエフェクトもすべて数値で打ち込んでいったわけですが、音楽ソフトも進化をとげており、普段は楽譜を作るためにしか使っていないFinaleに、今や「Human Playback」というユーティリティーがありまして、楽譜にアーティキュレーション、発想記号、クレッシェンドなどを入れておけば、それをを解釈して生演奏であるかのような演奏をしてくれるんです。今回初めて使ってみましたが、いやあ・・凄いわ。初見やのにねえ。

昨日は、その同窓会の下見(兼飲み会?私は途中から参加)、関西のメンバーのうち4人が集まりました。合唱への思い入れは、自分が恐らく突出しているであろうから、みんなに歌うことを強要することになってもいけないなあ・・なんて考えてもいたのですが、みんな覚えている、覚えている。あれも歌った、これも歌った、と話に花が咲いたのでした。

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写っている男性2名、そのころはとても美しいボーイソプラノで、その声を今でもはっきり覚えているほどなのですが、二人とも当時はそれが嫌で低い声に憧れていたのだそうです。そんな話も時を経てこそ聞くことができますね。

今出来上がっているのは、先生の「歌おうよ」にまだクラスは戸惑っていた初めの頃の思い出の曲「誰かが口笛ふいた」「まっかな秋」、そして6年生の11月にクラスで出場した市内の合唱コンクールでの自由曲「夕やけに拍手」。8月の同窓会当日までにもう1曲ぐらい増やせたらいいなあ。
皆で歌うのが楽しみで仕方がないうちのであります。

 
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投稿者: : 2017/07/05 投稿先 あれやこれや

 

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忘年同窓会

昨日は、小学校の時の同級生達との忘年同窓会に参加してきました。昨年の年末に集まってから、新たに連絡がついたクラスメートが2人増えて、賑やかな会食となりました。(これはSNS時代だからこそ・・ですね)宴会の最中には、関東在住のメンバーと電話で話もできましたし、不在のクラスメートも全員の名前が挙がっては思い出話、参加者は9名でしたが、今は遠い小学校の教室の賑やかな様子が再現されているかのようでした。イジラれ役だった子はやっぱり今でもイジラれ役で・・・お腹がよじれそうになるほど笑いました。

1次会は阪神西宮近くの中華「雅苑」さんだったのです。近所でもう少し・・とお店を探したのですが、結局「やっぱりインディゴに行こうよ」ということになり、西宮北口へ移動。移動の車中でも西北話、サンボアの思い出に花が咲きました。

「伝説のカレー遂に・・」2015.12.30
https://luckynobee.wordpress.com/2015/12/30/%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC%E9%81%82%E3%81%AB%E3%83%BB%E3%83%BB/

「去年のように、誰か知っている人来ているかもね・・・」と話していたら、やっぱり・・・!同じ地元の中学の同窓会が開かれていました。わたしは知っている方いらっしゃいませんでしたが、クラブの先輩後輩で再会を果たしたメンバーがおりました。

「地元」感満載。
こういうことが懐かしい、楽しい、と思うということはきっと年取ったんだなあ・・・。と思いつつ、だんだんメンバーが増えていくことが楽しみです。来年は全国区で担任の先生を囲んで集まろうね、と約束して解散となりました。みんな、楽しかったよー!ありがとう。

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大口開けて笑いっぱなしのうちのでありました。

 
 

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伝説のカレー遂に・・

ローカルここに極まれり、の話題ですのでなんのことだかわからない方ごめんなさい。

札幌から西宮に越してきたのは昭和49年のことでした。まだ西宮ガーデンズも芸文センターもなくて、阪急西宮北口駅は宝塚から今津までの線路と神戸線の線路が交差している「ダイヤモンドクロス」の時代。(結構これ危険ですよね。「管制室」みたいなものが要りそう)

駅の南口を出て西宮球場(当時は阪急ブレーブスの本拠地でした。阪急ブレーブスはその頃とても強くて、何度もリーグ優勝していましたが、パ・リーグ自体があまり人気がなかったし、優勝パレードとか、そういうのもなかったような気がします。)に向かうと、道路と道路に挟まれた三角形の中州のような場所があって、ぐるりには飲食店や、不動産屋さんなんかもあったかな。

西面(今津線に面した方)に、「サンボア」というカレー屋さんがありました。当時すでにかなりレトロな雰囲気を醸し出しており、店先には「学生の店」という看板。(これを掲げるまでにもドラマがあったようです。そのあたりはネットに詳しく書いていらっしゃる方がいました)

しばらくすると、兄から「サンボアのカレーを食べてきた」という話をよく聞くようになりました。とにかく安くてお腹がいっぱいになると・・・。小学校高学年になると、周囲の男子の口からも「サンボア」の話題がよく上りました。放課後や土曜日に行っているらしい。250円らしい、女子は誰も行っていない・・・「で、美味しいの?」と聞くと、「ウーン・・・・」と口を濁すか、酷い子になると「不味い!」と言うんです。「でも癖になる(当時はこういう言いまわしはしていなかったと思いますが、そういう意味のことを)」と・・・。誰もがそういう謎のカレー。いつか行って食べてみたい・・と思いながら一度も行かないまま、時は流れ、いまではすっかり様変わりした駅前、「サンボア」を思わせる風景はもうありません。

そのカレーを再現しているお店が西宮北口にある、ということは聞いていました。

昨日、夏に同窓会で再会した小学校の関西在住のメンバーの何人かと顔を合わせる機会があり、そのお店「インディゴ」に行こう、ということになりました。1次会でいい加減アルコール入っていたので、「いやあ・・いまからカレーはキツイっす。」状態ではありましたが、遂にあの幻のカレーが食べられるのか・・・と思うと、これは行くしかないですね。

じゃーん!
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これが、「幻のサンボアカレー”インベロ” 復刻版だ!」

うーん、なんと個性的な。ピラフというには汁気過多のライス。千切りというには少々荒いキャベツ。極薄のカツは豚なのか?ルーはサラサラ(シャブシャブ)・・・スパイシーだけどほんの少し酸っぱさもある。

「ルーに玉ねぎとか野菜入っていないじゃん」という私に、和食の板前である同級生の「当時、学生がお腹いっぱい食べられるように、値段押さえて、でも肉もつけて・・の工夫の末のこのスタイルだったのでは」という解説はかなり説得力ありました。

で・・・味ですが。
「美味しかったか?」と聞かれたら「うーん・・・・。美味しいかと言われると・・・でも癖になりそう」
当時、繰り返し聞いたのと同じ答え。あれやこれや取り混ぜて「納得の味」でございました。

ところで、お店には小学校の同級生6名で行ったのですが、店に着いたら中学の同級生が一人で飲んでいて(この人とも卒業以来でした)、そのあと、たまたま近くの店で飲んでいた、やっぱり同じ中学の同窓生達もやってきて。ひとしきり感動の再会・・・初めは「え・・・?どなた?」と思っていても、話し出すと当時の面影が立ち上がってくるようで、結局は「なあんだ、あんまり変わってない」と思えてくるのが不思議です。

店が同級生(ほぼ全員が瓦木中学校卒業生)で占拠されてしまったのでした。
いやあ・・・あまり「地元」という意識を持ったことがなかったのですが、サンボアカレーのマジックでしょうか。
「学生の店」の看板のかかった、あの店、あの町が思い出されました。

それにしても『インベロ』って、何語なんでしょう?どういう意味なんでしょう?誰か知ってたら教えてください。

楽しいひと時を過ごしました。

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同級生と
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思い出話に馬鹿笑いしております。後ろの「罰ゲーム」が気になりますね。
ちなみに、写っているお店は甲東園の「かがり火」さん、こちらをやっている人も同級生です。
U嶋さん、写真使わせてもらってありがとう!

 

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時を超えて

2015.8.16追記
なんか、同級生たちたくさん写真UPしていらっしゃるようなので、モザイク消しました。
問題あり!の方がいらっしゃいましたらメッセージ下さい。すぐ削除いたします。

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なんと!と言っても別に普通驚くようなことではないと思うのですが、わたし的には晴天の霹靂?

先日小学校の同窓会に出席して参りました。

何度かこちらでも綴ったことですが、当時の私は心の狭い、他人の欠点や失敗をあげつらうような、嫌~な子供でした。担任の先生はそんなわたしを、なんとか導こうと腐心されたこと、これも後になって、毎日毎日の宿題だった日記に先生が書いてくれていた返事を読み返して初めて気がついたことでした。時には大学ノート2ページびっしり、その日に私がちょっと差別的な発言をした男の子を責めて泣かせてしまったことについて、諭していただいたこともありました。先生だって今のわたしたちよりもずっと若い20代、ご自身の人生もまだまだ迷いの時期、それでも持てるだけの情熱を傾けて試行錯誤しながら、かなり個性的な学級運営に職員室では後ろ指さされたりしながら、時には問題になったり(したそうです)しながら、子供たちに向き合ってくださっていたこと、いまではよく理解できます。

自分のことについても、今では、家庭事情(それとてどこでも多少なりともあるようなことで、ウチが取り立てて「特殊」でもなかったのでしょうが、子供にとっては家庭と学校が世界の全てですからね)やら、遠くから転校したことや、将来への不安やらあれやこれやで余裕がなかったのだろうな、と客観的に考えることができますが、思春期を迎えた中学生、高校生のころは、幼少期への後悔や罪の意識に苛まれており、自称「前科者」、同窓会なんて恐ろしくて行けない、そもそも自分に会いたいなんて思う人がいるわけない…と思っておりました。

だから先日、同級生がライブに来てくれたあと、「みんな是非参加してって言ってます。」とメールくれた時は信じれない思いでした。

で、本当に怖々、恥ずかしながら、の心境で出掛けて行ったのです。

決して、自分が汚点だと思っていた出来事、他人を傷つけてしまった出来事が考え過ぎだとか、勘違いだった、というわけじゃないと思います。でも、きっと、その当時も、今も、周りの人にとても恵まれていたのだと思います。こんな自分でも受け入れてくれていたんだなあ・・と思うと、もう本当に「感謝」の気持ちしか湧いてきませんでした。

ということで、宴会最初の挨拶でもう涙があふれてしまった情けないわたくしなのでした。
でも、この笑顔見てください。めっちゃ晴れやかでしょ?

みんなが笑顔でした。当たり前のように、当時歌っていた合唱曲(先生が、前に赴任されていた静岡で合唱指導をしていたということもあり朝な夕な、なにかというと唄っていたクラスでした。あのクラスにいなかったら、多分今歌っていないと思います)を みんなで歌って、いろいろな「事件」を語っては笑いころげて。

宴会は三宮だったのですが、だれともなく「学校、行ってみようか・・・」ということになり、西宮に移動。もう暗くなっていたのですが、ラッキーなことに校庭に入れていただくことができて、みんなで「あそこに給食室があった」とか「教室はあそこだった」っとか、ドッジボール大体この辺でいつも・・・」とか。

ひと時、思い出に浸ったら、みんなそれぞれの「今」に帰っていく。もちろん何よりも大切なのは「今」そして「これから」。
でもわたしには、「今」「これから」を精いっぱい頑張るためのエネルギーを思い切り頂いた数時間でした。

わたしにとっては、長らく背負ってきた荷物を一つ降ろすことができたようで、大げさに聞こえると思いますが、次の日の朝には、世界が本当に少し違って見えました。

年齢重ねるっていいよなあ・・・・。心からそう思えた同窓会でした。

 
 

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