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カテゴリー別アーカイブ: あれやこれや

しあんくれーるの思い出

長くなると思いますし、音楽とあまり関係ないので、タイトルで興味惹かれなかった方はどうぞ読み飛ばしてくださいね。

先月1週間ほど入院していたのですが、同級生がお見舞いに・・・と1975年のスイング・ジャーナルを持って来てくれたのです。

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1975年特別号。ジャズピアニスト特集です。で、ぱらぱらとめくって眺めていたところ、広告欄に懐かしい店が・・・。

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もう建物も残っていないそうですが、1956年からあったジャズ喫茶の草分け的なお店だったそうです。一度だけ行ったきりなのですが、わたしにとっては、ほろ苦い青春の思い出の店なのです。

あれは中学三年生の頃、無駄に多感だったわたくし、夏休み前になると書店からもらって来ていた「新潮文庫の100冊」という小冊子で見た高野悦子さんの「二十歳の原点」のタイトルに惹かれ、読んで衝撃を受けました。

どう衝撃を受けたか・・・ということは思い出そうとすると、あまりの青臭さに赤面してしまうばかり。とても今ここに記す勇気はありません。
本当に本当に失礼な言いかたなのですが、年齢を重ねて今読み返すと「自殺なんてしないで逃げ出すなり、なんとかやり過ごすことはできなかったものなのか。そうしたらきっと楽しいことが沢山待っていただろうに」と思ってしまうのですが、何度も言いますが「無駄に」多感だったその頃の自分にとっては、 「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。」で始まる、自死してしまった現役の大学生が日々の悩みを赤裸々に綴った日記に、もう、なんというか絶望やら憧れやら恐怖やら、受け止めきれない感情を呼び起こされたものでした。

で、その高野さんの日記の中に「しぁんくれーる」で音楽を聴きながらコーヒーを飲むシーンが何度も出てきまして、ちょうどジャズを聴き始めたころとも重なっていたので、「いつか行ってみたい」と思っていました。

今では仕事が終わってから京都へ移動、日帰りライブで終電帰宅・・もしょっちゅうの生活ですが、そのころ「京都」というのは、「遠足で行く場所」。めったなことでは、しかも一人で行く、なんて考えられなかったのです。本では正確な場所もわかりませんでしたし。

高校生になって「ピア」たっだか「エルマガ」だったかを見ていたときに上の写真の広告を見つけた時に初めて住所がわかり「これは行かねば!」となったわけです。

秋だったと思います。学園祭のシーズンで確かたまたま通りかかった京都府立医大の学園祭のほんの入り口に恐々入ってみたり、御所の周りを散策したりしながら、お店を探しました。

見つけた「しぁんくれーる」、1階はクラシック喫茶、2階がジャズ喫茶でした。ドキドキしながら2階の席に座ってコーヒーを飲みました。「高野さん、やっと来ました」という思いと、一人で喫茶店、しかもジャズ喫茶というシチューエーションに、すっかり大人になったような気分になんだか誇らしげな幼いわたくしでございました。

ただ(ただ・・と否定する必要もないのですが)、大きなスピーカーから流れていたアルバムがマリーンさんの「サマーナイト」だったんですよねー。マリーンさんは大好きではあったのですが、「サマーナイト」はラジオで何度も聴いていましたし(売れに売れていましたから)、ジャズ喫茶というからにはもっと「ジャズジャズしい」音楽が流れているものと思っていたものですから、少々拍子抜けしたのは確かです。気分としては「Left Alone」なんかがぴったりだったかなあ・・・。(勝手な客)

あ、でもわたくし、ソロでお店でお酒飲んだり食べたりするの平気な方なのですが(平気、というかわりと好き)この時がデビューだったのかもしれません。

そして時は流れ・・・・・。そうですね、10年以上は経っていたでしょうか、京都に行く機会がありまして、「もう一度しあんくれーるに!」と心に決めていたのですが、もう住所がわからなくなっていて、記憶を頼りに探し回りました。けれど覚えているはずの場所に行ってもありません。諦めきれなくて交番で尋ねてみたのですが、やっぱりわからず。

今回、この広告を見てやっとわかりました。わたし、うろ覚えで、御所の西側の通りをずっと探していたのですが、東側だったのですね。府立医大病院の近くだったのだからそこを探すべきでした。

こんな感覚、インターネットがある今の若い方には考えられないことでしょう。スマホでちょとググれば店の場所も、他の情報も簡単に手に入りますものね。

雑誌をプレゼントしてくれた友人はもちろんこんな思い出を知っていたわけではありません。けれど、遠い青春時代を懐かしく思い起こすことができる程度に時間を重ねてきたこと、それが如何に幸運なことか、ということを教えてくれた素敵なプレゼントでした。

 
 

恒例行事に参加できること

師匠とピアニストの誕生日が近いことから、毎年K’zでは2月11日ごろにBirthday Party (という名の宴会)が恒例になっているのです。今年は諸事情で1か月遅れでの開催となりました。

主賓も含めて総勢16名、遠くカナダからライン会話でのご参加もいただき、賑やかな持ち寄りパーティとなりました。K’zのお仲間には小料理屋さんを営んでいるプロもいますし、みなさん料理上手ばかり。あまり腕に自信のないうちのはワインなどを持参することが多いのですが、たまたま土曜日もオフだったので、の南蛮漬けと、ジャーマンポテト風サラダと牡蠣のオイル漬けを持参したところ、牡蠣のオイル漬け(これがいちばん手間なしなのですが)がことのほか好評で、嬉しかったです。

それぞれに持ち寄った美味しいお料理に舌鼓を打ちながら、同じメンバーでこうやって集まって楽しくお酒が飲めることのありがたさをひしひしと感じておりました。

師匠、星野さん、そしてK’z関係者の皆様、これからも宜しくお願い致します。

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シャンパン!

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未だ堅固かたほなり 上手の中に交じりて

徒然草より

備忘録的に。

第150段

能をつかんとする人、『よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ』と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。

未だ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、毀り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり。

天下のものの上手といへども、始めは、不堪(ふかん)の聞えもあり、無下の瑕瑾(かきん)もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。

 
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投稿者: : 2018/01/14 投稿先 あれやこれや

 

大笑いのススメ 忘年同窓会

恒例になりつつある、小学校5-6年生高柳学級の関西忘年同窓会に参加してきました。今回は北新地の水炊きのお店「博多 華味鳥」。営業のお仕事を長くしてきたグルメ通の同級生が、いつも素敵なお店を探してくれるので、ほんとうに楽しみ。本場の水炊きの鶏スープの美味しさと言ったら・・・。あっさりしていて油っこいものが苦手なうちのにはとてもうれしいお店でした。明太子も美味しかったあ・・・。

さて、今回は関西在住の同窓生8名が集まりました。思い出話+それに対する現在のコメントが可笑しくて可笑しくて、笑いすぎでお腹が痛くなりました。ビールも吹きそうになるし、こんなに笑ったのは久しぶりではないかというぐらい笑い転げていました。

みんな記憶がちょっとづつ違っていたり、記憶している部分が違っていたり、みんなの話が、モザイクのように繋がって。厳しい突っ込みや、ネガティブ発言や、それもこれも全部ひっくるめて笑いに昇華できるって、すごいことだなあ・・・・。と思います。

それぞれ年齢を重ねてさまざまな経験をしてきたということもあります。でも翻って日々の仕事や人間関係で「クレーマーさん」とか大昔の「恨みつらみ」を大人になってからも引き摺っている人とか、現在自分の人生がうまく行かないことを過去のせいにしている人や、たくさん見かけるわけです。そういう不幸なことにならずに、今みんなで大笑いできるのも、当時の先生のお陰なんだろうなあ・・・としみじみ思うのでした。

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(記念撮影!例によって笑いすぎで目がありません。)

たまたまなのですが、今回女子4名は、「集団下校」(これ、やってない地域や学校もあったようですが、当時私の通っていた小学校では必須でした。家が近い子が一緒に登下校するのです。登校は学年やクラスを超えて近所の子がみんなで揃って登校、下校はクラスで方向が同じ子が班を組んで下校することになっていました。)の班4名が全員集合していました。当時7歳離れた妹の通う保育所が下校途中にあったので、皆さんには妹の「お迎え」にも付きあってもらっていました。ちょうどおやつの時間なんかだと、3人(一人は保育所の前のマンションに住んでいたので帰宅済み)で保育所の小さなブランコやジャングルジムに持たれておしゃべりしていたり。

あれから長い歳月が流れました。その時間を経て、またこうして一緒に笑い転げる日が来るとは、もちろん当時は想像も及ばなかったことです。

本当に幸せなことです。

さあ、笑い声や、笑いすぎで流れる涙で、今年の恨みつらみ(いや、そんなものそもそもありませんが、ちょっとした澱のようなもの)はみんな流れていきました。

すっきりとした気持ちで新年が迎えられそうです。

同級生の皆さん、ありがとうございました。

 
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投稿者: : 2017/12/30 投稿先 あれやこれや

 

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今年も泣き笑い クリパで歌い納め

毎年恒例のK’zのクリスマスパーティ、今年は谷町4丁目近くのピアノバー、『Who am I 』での開催でした。お題はずばり 『クリスマスソング』
ということでわたくしは、「A Christmas Love Song」を歌わせていただきました。他にウクレレ楽団ふあっとのメンバーとして(ウクレレは弾けない)「テキーラ」の歌と、途中での「テキーラボンバー一気飲み」のお給仕をさせていただきました。(一気飲みといっても乱暴なものではありません。テキーラを炭酸で割りますので、ご希望を聞いて、ごく薄いものからストレートに近いものまで、無理のない濃さでご参加いただきました)

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ソロで歌っております。

 

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おさげ付きのサンタ帽を被せていただきました。

 

クリパといっても師匠は司会、ピアニストはずっと弾きっぱなし。見よ、この譜面の量!ジャンルは多岐にわたるし、ストリングスや大編成の演奏で皆が耳馴染んでいる曲をピアノひとつで表現しなければいけないし、もう星野さん、職人でございます。
歌っているのは歌仲間の梅ちゃん。

 

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ふあっとの一員として。テキーラ!

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テキーラ!「マンボ、テキーラ マンボ、テキーラ」と4回繰り返すところで飲むことになっていましたが、ほとんど皆さん一気飲み。

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師匠も、テキーラ!

馬鹿なことやって笑い転げて、唄仲間と「ザ・ピーナッツメドレー」ハモって、最後は全員でWhite Christmas歌って、大笑いしては、今年もこうやってみんなで歌い納めできたこと、一年無事に過ごしたことなど、あれやこれやがこみあげてきて何度も涙ぐんでしまううちのでありました。

来年もよい年になりますよう。みんなで元気に歌おうね。

 
 

音楽の不思議 続けるということ

先週は、年2回の恒例となっている、母のハーモニカ教室の発表会に出かけました。70人もの生徒さんが出演する大きな発表会、先生のご苦労が偲ばれます。

今回、母はカラオケではなく生バンドで「星に願いを」を演奏致しました。母には機会があればできるだけ生の楽器の伴奏を勧めています。ハーモニカを始めて7年(多分)、初めのうちはとにかく”音符に書いてある音を出す” だけ(失礼)で、とても音楽と言えるシロモノではございませんでした。(音符の長さはほとんど無視でしたし)言葉で言えば「あー!」とか「おー」とか発音するだけでは言葉になりませんね。それとおんなじ。リズムが、ましてや音の質がどうとかいう以前の問題でございました。音楽が好きで、「この曲を弾きたい」という思いがある、ということはその音楽を聴くことができるのに、楽器を弾こうとするとそこがすっぽり抜け落ちてしまって「音を出す」「楽器を演奏する」行為に注力しちゃうんですね。不思議なものです。

もちろん音を出す、音階を奏でること自体に技術がいるわけで、そこは訓練をしなければいけないわけですが、肝心の「この曲を・・・」は忘れてはいけません。

先ずは「やっほー!」って歌えること。音を間違えて「やっほー」が「ひゃっほー!」とか「やっへー」になっても構わないけれど、山のてっぺんで「やっほー!」って言っていることが伝わるかどうか、ここなんだよなあ・・・・。
ということで、間違ってもいいから全体のリズムが大事。音間違えて変な音が入ろうが、ちょっとずれようが、歌えていたらちゃんと聞こえるよ、って言い続けて7年。

今回も、もちろんバンドの皆さんがうまく合わせてくださったのは間違いないのですが、それでもかなり「参加」出来ていたと思います。そして、アンサンブルが成立するとその音楽は魔法がかかったように不思議な力で聴く者を魅了する。そうすると今度は聴く人も一体になってさらに音楽が広がっていく。
これはやっぱりカラオケではなかなか望むことができない「ライブ」のマジックだと思っています。
本人としてはまだまだ演奏を楽しむ余裕はなかったとのことですが、確実な進歩に胸が熱くなったのでした。

継続は力。次はもっと楽しめるように頑張れ!

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頑張ったね。

 
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投稿者: : 2017/12/09 投稿先 あれやこれや

 

Como un Cielo Limpio

「美しい空のように」かしら?

ラテンの師匠Carlos Ortegaの新しいCDです。3曲目、Carlosのオリジナル曲「Viajero」の日本語訳を担当させていただきました。スペイン語は全然わからないのに、何故にわたくしにオファーが回ってきたのか、よくわからないのですが、Carlosが一旦英語に訳したものを読みつつ、また作者本人から聞き取りしつつ・・・の作業でございました。

Carlosのように、世界中あちこちに数年単位で暮らして、そして日本で結婚して子供が生まれ・・・・「故郷に帰りたい」という気持ちと、桜の美しいこの国への愛情と、どちらも同時にある、それはまるでどちらでもない別の場所を漂流しているような気になることもある・・・・。

経験のない身にはなかなか実感としてはわからない感情ですが、強い人にしか耐えられないある種の孤独・・かな、なんて考えました。最近難民の話題があちこちで聞かれるので、否応なしに住む場所を追われた人たちの郷愁はいかばかりか・・・なんてことも少し考えたり。

ありがたくも訳者としてのみならず、「Special Thanks To」にクレジットしていただきました。

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投稿者: : 2017/09/24 投稿先 あれやこれや